ノブヤスの奇妙な手帳

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東日本大震災の被災時の状況と被災時に役立ったもの

目次

 

東日本大震災で被災時の状況

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、英: Great East Japan earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震(加えて長野県北部地震による災害を含む場合もある)およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。

東日本各地での大きな揺れや、大津波・火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2,318名の死者・行方不明者が発生した(震災関連死を含む)。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ3番目の規模の被害となった。(Wikipedia参照)

 

東日本大震災発生時には、私は近所のコンビニ内で買い物をしていました。

地震の発生時に、私は店内から慌ててコンビニの駐車場へ出ると、駐車場のアスファルトが波を打っていて駐車していた自動車も一緒に激しく上下していました。

初めて見る光景にとても不気味で、忘れることはできませんでした。

私は、内陸に住んでいるため、津波の心配はありませんでした。

 

自宅への帰路

私は自宅から自動車で3分程の距離のコンビニにいたため、慌てて自宅へ戻りました。

戻る途中には、できるだけ信号のない農道を通りました。

信号機がある道路のほうは案の定、停電しており軽い渋滞を引き起こしいるのが、遠目でも見えました。

 

自宅(実家)の状況

自宅でも、停電していました。地震による倒壊などはしておらず、一安心しました。

停電により、水道の水は出ませんでした。自宅に井戸があり、地下水を電動ポンプで引き上げているため、電気がないと水は出ません。

ガスは、プロパンガスのボンベタイプが自宅の外に設置されており、ガスコンロと炊飯器にガスを使用しています。ガスコンロと炊飯器は電池で動くため、停電していても、温かい料理を作ったり、ご飯を炊くことはできました。

給湯器には、灯油を使用しています。自宅の外に約500ℓタイプの灯油タンクを設置しています。

私の自宅(実家)は、昔ながらの家のため、電気、水道、ガス、灯油を用途によって、使い分けており、ライフラインをできるだけ別にしています。

しかし、電気に頼る部分は大きいため、停電すると水道は使えませんし、給湯器も使用することもできません。

 

暖を取るためには、自宅では電気式の灯油ファンヒーターを使用していましたが、停電のため、昔に使っていた反射式の灯油ストーブを引っ張り出しました。

マッチで点火するタイプの反射式ストーブは、私が小学生の頃に使っていた年代物の代物でしたが、問題なく使用することができました。

おそらく、反射式ストーブは簡単な構造のため、壊れることがなかったのだと思います。

また、反射式ストーブの上で、やかんや鍋を掛けて料理ができることができるため、一石二鳥の代物です。

 

震災(停電)時の教訓と私の考え

このように、自宅(実家)では昔からライフラインを分散しており、さらに反射式ストーブがあったおかげで、私はあまり苦労することなく震災を乗り切ることができました。

昔ながらのすこし不便な生活は、実は震災時(停電)に対して、有効である可能性が高いと感じました。ちなみに、近所のオール電化の家では、車の中で生活をしていたと聞いて驚いた記憶があります。

日本の技術力の高さと電力会社様の頑張りのおかげで、停電は数日で回復することができました。

その数日を乗り切ることができれば、電気が復旧して震災時の対策がより行いやすくなると思います。

私の場合は、まずは、自宅(実家)にあるものを駆使して停電を耐え、震災を乗り切れるようにして、命を守る行動をとることが必要だと思います。

 

私は助ける順番をすでに決めています。子供、パートナー、両親の順です。

nobuyasuhandbook.hatenablog.com

助けるためには、私自身は絶対に死ぬことはできません。

大事な人を助けるその時のために、まずは自分の命を大事にしてください。

 

 

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