ノブヤスの奇妙な手帳

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認知症になる前の境界上にいる人は、本人も家族も辛いことがある(老後を穏やかに過ごす方法)

 

皆様、お元気にお過ごしでしょうか。

 

私は今までに認知症にならないようにするためには、どうするかということを過去のブログにまとめていました。

 

nobuyasuhandbook.hatenablog.com

 

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今回は、認知症になるかならないかの境界上にいる人に関して、私の体験を紹介していき、自身がそうなる前にどのような行動をとることができれば、ストレスなく過ごせるかを考えました。また、本人がストレスの少ない生活を送ることが、自身の家族への負担も減らすことができるのではないかと考えます。私自身も介護現場で仕事をしていた経験があり、その視点も含めています。

 

 

私の結論としては、歳をとるにしたがって、自身のプライドや見栄を捨て、自分のありのままの現状を素直に受け入れる準備をする必要があると考えます。

そして、寛容な心を育てるということが必要です。

ただし、自分の本当に大事な物や信念は尊重したうえでのことです。

 

 

まずは、最初に私の祖母の話になります。

私の祖母は、およそ90歳まで生きることができました。

長女として生まれ、私の祖父が婿として家に入りました。元気なころは、プライドが高く、周り近所からの目を気にしている印象でした。また、必要以上に衣類を持っていて、着ることなくタンスの肥やしになっていました。

しかし、80歳頃から認知症と診断されています。

認知症が発症することになったきっかけがあります。

祖母が75歳くらいの頃に、自宅で転倒して脊椎圧迫骨折です。

脊椎圧迫骨折は手術やリハビリにて治すことができました。

その後から祖母は自宅での生活へ戻りました。

骨折以前は畑仕事なども好んでしていたのですが、徐々に億劫になり家の中で生活する時間が増えました。

80歳を過ぎた頃から、物忘れが多くなり近所の徘徊が頻回にみられるようになりました。

さらに骨折前は毎日、入浴していましたが、徐々に入らなくなるようになり、次第に自分の意志では全くと言っていいほど入浴しなくなりました。

その頃には、認知長の診断と介護度が付くようになり、近所の通所サービスを使用を開始となりました。

通所サービスへは週2回ほどお願いしていましたが、祖母の気分次第で行かない日も多くありました。やはり、その際にも周りからの視線を気にしていた節がありました。

同時期に、おむつパンツを使用し始めており、失禁も増えてきた感じがありました。

徐々に認知症の症状は進み、自宅で家族だけの介護するには限界に達したため、施設への入所となりました。理由としては失禁が増え、食事も取らず、近所への徘徊が頻回になったためです。

施設へ入所してからは、その環境に慣れたためか自宅での生活より穏やかに過ごしているように見えました。精神状態も自宅でいるようりも安定していました。

歳を追うごとに、認知症の症状は進み、最後は食事を口から摂取することができなくなり病院へ入院して点滴をしていました。

徐々にやせ細っていき、最後は老衰で寿命を全うしました。

 

 

次に、私の母方の親戚のおばさんの現在進行形の話です。

おばさんは現在、75歳くらいです。

このおばさんは長女として、その家に産まれ婿養子を迎え、その家を守っているようなかたです。プライドや周囲の目をとても気にしている方でした。

おばさんの家族から、おばさんの若い頃の話を聞くと、自宅は裕福で若い頃から苦労せず生活してきており自由奔放な性格とのことでした。ただ、精神的に弱い部分があったらしく、不安感が募ると精神安定剤を服用することがあったとのことでした。

そのおばさんは、今は自宅に夫と二人で生活しています。

精神的に大きく波があり、穏やかに過ごすこともありますが、急に拒否的で苛立ちを隠せない時があるようです。

精神安定剤を現在も医師から処方してもらっているとのことですが、おばさん自身での服薬管理は厳しい状況です。

夫が服薬管理しようとしていますが、おばさんがその管理を拒否して、うまくいっていない様子です。

食事もあまり摂りたがらないとのことです。

また、物忘れや同じ話を何度も繰り返している点も気になりますし、無気力な感じもみられます。

そのおばさんは、近所の人や親戚の人に対しては、いつもと変わらない表情や行動をとるようですが、身内である夫の手助けには拒否的でわがままであるとのことでした。

当然、夫のストレスは相当の様子で、私から見ても疲れ切っている様子でした。

家族内でしか分かりえないことがあると思います。その夫がおばさんのことを以前と比べておかしいと感じていると私へ話してくれました。

おばさんの精神や行動から現状では、精神的な変化によるものか、認知症の発症によるものかは、はっきりと分かりません。

専門医におばさんを連れて行こうとしても、勘のいいおばさんは、そのことに気付いて絶対に行こうとはしないのです。

 

 

2人に共通して言えることは、見栄やプライドがとても高く、自分はいつまでも正常でいると考えていることです。

特に、認知症になるかならないかの境界線上にいる場合、早めに専門医の受診が必要であると私は考えていますが、それすら自身のプライドや世間の目を気にして受診することができない現状です。

このことは、本人も相当のストレスになっているでしょうし、その家族はそれ以上の負担となっています。

私も、祖母が認知症になってから、失禁、食事拒否、徘徊があったため、自宅で気の休まる時間がなかったです。特に私の父にとっては、実の母親なので、父の今まで知っている母親がそういった行動をとるようになってしまったため、相当のストレスになっていて毎日、父の苛立ちがみられました。

 

 

満たされた人生を送った人は誰しも、いつまでも健康で長生きをしたいと考えるとは思いますが、ある一定の年齢を迎えたら徐々に自分の持っているものを手放していく練習が必要であると私は考えます。

また、同時に、寛容になる心も育てていき、自分とその周囲の人がストレスを溜めずに過ごせることがとても大事なことだと考えます。

そして、人間は急に変わることのできない生き物だとも思います。

性格という面においては私の経験上、重度の認知症により性格の変化がみられる時がありますが、そうでない限り、認知症になっても本人の性格が大きく変化することはないと感じます。

性格は認知症になる、ならない以前に高齢になるにつれ、穏やかにしていく練習をしていったほうがストレスのない老後を送ることができると考えます。

 

 

私は、樹木希林さんの生き方にとても感銘を受けています。

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本) 】

この本を読んだ時、こんなに最後まで自分の人生を楽しんでいる人がいることに驚きました。

題名からは、自分勝手に生きているようなイメージを受けますが、本を読んでみると、自分が亡くなってからも、他の方が困ることのないように配慮している面がとても印象に残っています。

衣類に関しても、往年は新しいものはほとんど買わずに、自分で手直しをしていたとのことです。

私の祖母のタンスの肥やしと比べてしまうと、本当に、信じられません。

樹木希林さんのこのような生き方をしたいために、私は死が身近になった際には、自分の現状を受け入れる覚悟と、寛容な心を持てるように、準備をしていきたいと考えています。

それは認知症になるならないの問題の前に、老後を穏やかに過ごすために必要なことだと思います。

 

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